こんばんは、でんです。
今日は精神保健福祉士とはなんぞやと語りつつ、どうして私が精神保健福祉士になろうとしたのかを書いていきたいと思います。
精神保健福祉士という仕事について
聞きなれない方は聞きなれない職業だとは思うのですが、社会福祉士の精神科方面特化版です。
行う業務は、病気・障害・貧困などで生活に困っている方に支援を行っていきます。
ざっくりと言ってしまうと、相談を受け、制度やサービスなどの利用支援を行い、相談内容を解決していく流れとなります。
この他にも、支援の過程で関係機関と連携を行ったり、啓蒙活動を行ったりもします。
しかし、この支援を行うにあたり精神疾患をお持ちの方は、その特性に合ったアプローチを行わないと支援が成り立たない場合があります。
そうした方々へも手を伸ばすため、この職業は存在しています。
ちなみに、日本は精神科関連が他国と比べて遅れていると言われています。
島国の特性というか、日本の風土というか、臭いものには蓋をしたり村八分なんてものが存在したりと、いわゆる普通から外れた人に対して嫌悪する傾向が強いようです。
そのため、この国は精神疾患をお持ちの方に対し、家や病院に閉じ込めておくような法律や施策を行ってきました。
このあたりが他国と決定的に違ったことから、日本は海外を追従する形になっています。
そんな国や法律や制度に対し、異議を唱えて戦ってきたのが本職の先輩方の活動となっています。
現在でも啓蒙活動や、いわゆる差別や迫害を無くそうと戦っている精神保健福祉士も多くいますが、当時はかなり大変だったのではないかと思っています。
精神科との出会い
幸か不幸か、私はそんな世界とは無縁に育ちました。
そんな中、心理系の大学に通っていた際に、精神科のクリニックで働く医師の講義を聞く機会がありました。
講義内容そのものが衝撃的だったということと、その医師の語り口調や考え方がとても優しかったことから、私はこの業界に強く興味を持ちました。
それから、将来の仕事をその業界に定めいろいろと調べていく中で精神保健福祉士について知りました。
入口が医師だったこともあり治療方面でばかり考えていたのですが、この職種に『困っている人の為になるなら支援は何をしても良い』という自由度とその仕事の幅の広さ、そして何より『その人がその人としてどう生きていくか』というところに深く関われることに魅力を感じました。
使えるものは何でも使って人生を支える、というのは、当時の自分にはかなり魅力的だったんです。
それゆえの大変さも当然あるのですが、漠然と誰かを救えるような仕事をしたいと思っていた自分にとって、この仕事はピッタリに感じました。
まとめ
そうして四年制大学を出た後、専門学校に通い直して資格を取得して、病院で働くこととなりました。
その後も色々あり、悔しいやらなんやらあったのですが、それはまた別の機会にお話ししたいと思います。
ちなみにこのお仕事、普通の人はできないんじゃないかと思っています。
日本基準の普通の人だと、恐らくノーマルな接し方をするのは難しいでしょうし、その方の辿った経歴に同情して過度に親切にしてしまったり(依存になったりすると良くないんですよね)、支援への見返りを求めてしまったり、職務の重責に耐えられなかったりと、色々と難しい気がしています。
でも、困っている人に手を差し伸べて解決していくの、なんか素敵じゃないですか?
あ、でもだからって、それを奢ってはいけませんよ。
そういう心は見透かされますし、この職種の大きな前提でもある『寄り添った支援』『伴走者のような存在たれ』という考え方にそぐわないですからね。
他人を尊重する心と、良き隣人であろうという姿勢があれば、そんなに難しいことはないと私は考えています。
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