日常生活で、仕事で、時々降ったように湧いてくるイヤなこと
イヤだということは明確にわかりつつも、それがなぜイヤなのか考えたことはある?
自分を掘り下げることは、自分と向き合うことと同義で、
生きづらい世の中を、多少マシに生きていくために必要なことだと思う
自分が何を嫌がっているのか
自分は何を嫌っているのか
それは状況によって変わるのか、人によって変わるのか
そうやって色々な「なぜ」「どうして」「どのように」を自分自身に突きつけ続けて、
自分というものを、自分こそが深く理解する必要がある
でもさあ、それ、しんどくない?
それこそ、イヤだし、やりたくないよね
世の中、キレイごとや明るい事、ポジティブな理由だけで動ける人間もいれば、
逃げるために、避けるために、ネガティブな理由でないと動けない人間もいる
ネガティブとかポジティブとか、言葉そのものにプラスマイナスのイメージがこびりついて、
まるでネガティブなことは悪い事、みたいに感じるけど
現状を打破しようとして、実際にそれが叶うのなら、
その過程ってわりとどうでもよくない?
方法よりも結果
そっちの方が大事だよね
日常の些細なことを気にして、想像して、妄想して、勝手に裏切られた気分になって、勝手に気分が落ち込んで
イヤだよね
でも、見方を変えたら、それって危険予測じゃない?
日常にポンと現れるイヤなこと、それを避けるために事前の策を打つこと、イヤだと思わないように自分をコントロールすること、
どっちも「イヤなことなくなる」のは一緒だよね
方法に拘りたい?
拘りたいのは、きっと自分だけだよ

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